要求と応答のギャップ
伝達って難しい。
相手に伝えたつもりでも、相手は違う受け取り方をする。
逆も然りで、相手から「そういう意味ではなかった」と言われる。
文字に起こして眺めてみても、自分が正しいのだが、こういう時はどっちが正しい論戦は悪影響だけなのだ。
自分で気が付くためには、相手が端折って喋った時にはすかさず、「どういう意味ですか?」若しくは「もう一回お願いします」と言い直しをしてもらう。
そうする事で、相手の中でも話が整理されて、自分もリピートになって、キチンと自分に伝わる。
問題なのは、聞き返さずに自分の中で違う話を構築して、腹に入れてしまう事。
まともな人なら問題ないけど、やばい人は思考回路もヤバいので、人に応じて関わりを変えましょうね、っていう話。
業務アプリの自作にいそしむ
最近MS-Accessを覚え始めた。
エクセルでちまちま表や報告書作ってて、あれどこだ、これどこだって探すのがめんどいし、業務の書類チェックリスト作ったら楽やん、ってやるのはいいけど、チェックリストの雛型の更新も面倒になる。
てなことでaccessを覚え始めたけど、なかなか難しい。
あれやこれや、体系的に構成しなきゃいけないし、エクセルみたいに我流でいつかは覚えるだろうってやっても、エラーがでてうまく行かない。
やっぱり参考書の通りに作り込むのが一番なんだけど、参考書はスマホに入れてるから見づらい。
それでも少しずつ出来るようになってきて、早速データの再活用がうまく行くと楽しくなる。
一時は「周りもこの仕組み覚えたら、仕事が楽になるのに!」って思ったけど、そんな事したら「先生やれ」って言われそうだし、給料あがらないから、やらない。
それよりも、このシステムをうまく使って早く変える方法を身につけたい。
家の片付けと優先順位
家の片づけをしなければならない。
5月に引っ越しをして、未だに段ボールが重なっている。
開いても取りあえず寄せるだけ。
そんなことではダメだ!
ダメだ!
ダメなんだけど・・・
時間がない。
でも本当に時間がない?
アドラー心理学では、
「あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」ものである」
だそうだ。
つまり、部屋が片づかないのは自分が選んでいる、と言うことになる。優先順位が低いのだな。
と言うことで、片づけは必要になったら実施する事にする。
本番と練習
練習するなんて部活とか趣味しかやった事ない。
仕事はしない。
というかできないと思っていた。
だって部活は練習メニューが決まっているし、
本番のための練習。
でも練習することで、本番が改善するのか?
仕事における練習と本番は?
本番(日常)に対して「練習」ってどうすればいいのか。
例えば、音楽。
演奏の本番の曲ができるようにする、繰り返し練習する。
これは「当日の作業が滞りなくできるように、あらかじめオペレーションを覚えておく、同じクオリティで作業できるようにする」ということになる。
例えばスポーツ
本番の勝負に勝つ、良い記録を出す。
これは「自分のポテンシャルを高めるため、様々な選択肢に対応できるようにするため」という事になる。
仕事に反映しようと思うと、こちらかもしれない。
具体的に考える。
バスケの場合
・コートの端からドリブルしてシュート
・パス回し
・走り込み
・シュート練習
・ゴール下の模擬試合
・模擬試合
これらは
・スポーツを形成する基本的要素
(ドリブル、パス、走り込み、シュート)
・部分的なシーンで要素を組み合わせてトライ
・全体を通したお試し
こんな感じに分類される。
仕事に当てはめるとどうなるか。
①仕事を形成する基本的要素
⇒品質、安全、予算、工期、法対応、
②部分的なシーンで要素を組み合わせてトライ
⇒例題を作成して繰り返し練習
③全体を通したお試し
⇒毎日の業務
つまり、
①基礎力アップ
②応用力アップ
③本番で試してみる。
そういう事なんだろう。
書いてしまうとなんか当たり前の事になるんだけど、
基礎練習って大事なんだなと改めて感じた。
生産性向上が昇給につながらないジレンマ
最近、生産性向上ってよく聞く。
働き方向上で、残業時間を減らそう!だから仕事の質を上げよう!
ざっくりこんな感じ。
今の会社では、月の残業は多くて40時間。大体30時間前後で推移している。もちろんすべて残業代が付く。
前の会社では残業200時間していたこともあって、体力的にはすごく余裕があるので、ありがたい会社に転職したな、と思っている。
給与は下がったが、地方に移住したので余計なお金も使わずに済むし、家賃も安いし、大きな違いは無いかなと思う。
国で定めた残業時間の上限も月45時間であるし、法令的にもこれ以上の残業削減は不要だ。自分としても給料が減るからね。
定時に仕事を終わらせるのが基本だ!と、有り体に言う人もいるが、わが社は成果に対して給料を払っていないくて、時間に対して給料を払っている。
人事の評価基準では「成果に対して」と書いてあり、ある程度は成果に対する評価もある。
だけれども、最終評価はABCランクを人数割合で評価する。そのため、どんなに頑張ってもA評価。どんなに頑張らなくてもC評価。上と下の差は一定だし、頑張りまくった人が複数いても、A評価の取り合いなのである。これって、相対評価でしょ。
だから、上司も相対的に評価する。あの人はこの人より”頑張った”。だからAランク。
では、”頑張った”の基準は何か。
特に無いのである。
雰囲気。
難しそうな仕事を多く時間をかけずにやってくれて、管理職が困っていない。ありがとう!!
例えば、「毎日定時に帰った!いつもの仕事はこなしています!」、という人がいたとする。
どうなるか。
「余裕がありそうだから、こっちも仕事やって?」となる。
では増えた仕事分が評価になるのか。
”な ら な い の で あ る”
評価は仕事量の絶対値ではなく、雰囲気だから。
増えた仕事で毎日30分残業が増えたとしても、「あの人は仕事が少なかった。組織として均等に仕事の割り振りができた。俺って管理職としてすごい。」
その思っているのではないか?
自分が管理職でもそう思う。
まぁ実際、仕事量を評価するって難しいと思うし、
会社の利益にも上限があるのは分かる。
売り上げが落ちた時も給料が下がらずに済む利点もある。
だけど、人間って現状がベンチマークになるでしょ?
だから「頑張ったのに何で評価されないんだ!!」ってなっちゃう。
そんなジレンマを抱えつつ、毎日頑張っていきましょう。。